HOME / ロンドンナイト35周年目前!大貫憲章×伊藤政則 特別対談

LONDON NITE 35周年直前 特別企画 対談 大貫憲章×伊藤政則

音楽、ファッション、カルチャー……すべてにおいて情報が少なく、しかし狂気と熱気が満ちていた80年代ディスコシーン。ダンスと言えばソウルが主流だった1980年に「ロックで踊る」を提唱し生まれた日本初のロックDJイベントがロンドンナイトだ。ファッション関係者を中心に人気を誇ったこの伝説的イベントのスタートから来年で35年。それを目前に控えた今年8月、主催者・大貫憲章と、ロンドンナイトと同時期に同じディスコでイベントをスタートした音楽評論家・伊藤政則の対談がUSENの神泉スタジオで実現した。当時のエピソード満載のロンドンナイト スペシャル対談――。2人のイベントを象徴する5曲や、各専門チャンネルも併せてご紹介。

Special Talk

新宿ツバキハウス
ロンドンナイトの始まり

伊藤大貫がDJ始めたきっかけは、トミーズ(西麻布のショット・バー、トミーズ・ハウス)だよね?

大貫そう。1979年、ザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』が発売されてツアー取材でロンドンに行ったんだよね。当時コンサートでは、バンド以外はテープとかを流してたけど、生でDJをやるっていうんで見せてもらったら機材もしっかりしてて、仕事としてもちゃんと成立してるって言うんで興味を持って。それで日本に帰って、知り合いにオーナーのトミーさんを紹介してもらった時に話したら、快諾してくれて「水曜日の夜、適当にやりましょうか」って。

伊藤 わはは。

大貫 DJ何人かで回すからさ。それが80年の1月の末くらいかな、初めてのDJ体験ですね。その2、3ヵ月後にツバキハウスの方が直接来て「うちでやってくんないか」って。

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伊藤 日新物産の佐藤さんね。

大貫 まぁ、会社名は触れなくてもいいんだけどさ(笑)。

伊藤 がははは!

大貫 ツバキハウスは1000人くらい入る大きいハコだから「俺で大丈夫ですか?」って言ったんだけど、いいって言ってくれたんで、すぐ決めて。それが春前くらい。当時ディスコって会社経営だからDJはみんな社員。基本は外注をしないって感じだったけど、(ツバキハウスは)休暇の一策として初めてフリーのDJである僕に外注してくれて。だけど最初の数ヵ月は全然お客さんが入らなくて結構厳しかったね。それが大きく変わった出来事があって。

伊藤 うん。

大貫 火曜日にやってたんだけど、僕以外のDJはみんなディスコサウンドをかけてたんですよ。そしたら佐藤さんがある日急に来て、俺以外の人がDJしてるのを見て「何やってるんだ」って。「まだ大貫さんの時間じゃない」とか「(ロックだと)お客さんがいなくなります」って話をDJの人たちが説明したら、「今の客はいらない」って。

伊藤 おぉ~。

大貫 中途半端なことやってるからダメなんだ、変えるには新しいことやらないとって「大貫さんにやってもらう」って、DJの人たちに懇々と説明してて……。まぁDJの人たちは不満顔だったけど。

伊藤 ははは。

大貫 後から来たプロでもなんでもない俺なんかは申し訳ないって感じだったよ。で、急いでロック対応型のDJにも頼んで、ロンドンナイトが始まった。それからすぐに学生の夏休みとか、宣伝の効果もあって、冬には何百人って人が入るイベントになった。

伊藤 客層は最初から文化服装(学院)とかだったの?

大貫 まぁ、文化とか東京モード(学園)とか、新宿界隈の専門学校生が優遇されてたよね。当時ディスコは飲み食いがタダだったし。

伊藤 そうそう、ツバキの飯!コレがめちゃウマなんだよな。しかも10品くらい置いてあってさ!

大貫 全然食えるよな。若者に人気のナポリタンとかカレーみたいなメニューが中心で、豪華ではないけど季節モノもあったりして。

伊藤 冬には、おでんだもんな(笑)。

大貫 夏はそうめんで。だからみんなご飯食べずにツバキに来てさ。17時前に入ったやつは500円で飲んで食って踊って、11時くらいにまた食べて……大きいハコだしソファーもあって長くいられたから、俺んとこ3時くらいには寝てるやつも多かった(笑)。1種のテーマパークだよね。今じゃ窮屈で長くいられないでしょ。昔は飯タダ、広い、ソファーもある、ちょっとコワイお兄さんがいるくらい(笑)。

伊藤 そこは新宿だからな(笑)! 大貫んとこはホント、トレンディーな格好してる人が多かったよな。

大貫 パンクとかニューウェーヴのファッションをいち早く取り入れて、ツバキハウスで友達にお披露目するって感じで。普通の格好して電車で来て、ツバキで着替える。デュラン・デュランみたいな格好とか、ボーイ・ジョージみたいなメイクで遊んで、帰る時はまた元に戻して帰るから「マメだなぁ」って(笑)。

伊藤 おぉ~!

大貫 まぁホント、ファッション好きは多かったよね。ファッション・コンテストも何度かやって、(当時学生だった)藤原ヒロシは優勝してロンドンに行ったり。俺が知ってる限り本当にロンドンに行ったのはヒロシだけで、彼は帰ってきてから注目を集めるようになったね。ヴィヴィアン・ウェストウッドとかとも知り合ってさ。

伊藤 へぇ~、すごいな。

大貫 まぁとにかくボロとかパンクス、ロカビリー……色んなファッションの人が集まってた。最終的にはスケーターファッションの人たちも来るようになって、ツバキにスケートランプ作ったりしてたし。

伊藤 それって、水曜のスケーターナイトだろ?

大貫 そうそう。ロンドンナイトのスタッフが立ち上げて、ミクスチャーの走りみたいなことをやってたな。ほかにもロカビリーナイトとか、うちから別の曜日に派生したイベントは結構あったね。

ブルーハーツが生まれ、藤原ヒロシが育った
インフルエンサー的イベント

大貫 政則のところ(同じくツバキハウスで伊藤が主催した「へヴィメタルナイト」)にもよく遊びに行ってたけど、おもしろかったのはDJブースの政則に向かって全員が同じようにエアギターとヘッドバンギングしてた光景(笑)。「踊る宗教か!」って。

伊藤 ああ、よく言われたよ。まだ当時はエアギターとかって概念や言葉すらない時代だからね。

大貫 そう、エアギターは政則のとこから始まった。マルシー(著作権表記のマーク)だよね。

伊藤 (笑)、マルシーは付かないけどさ、ライヴでアーティストに向かってやるのと同じ、DJブースがステージのつもりなんだよ、お客さんは。うちはロンドンナイトから1年遅れて始まって、僕も大貫と同じで最初は他のDJに混じってやってたから、僕がアイアン・メイデンを流した後に「愛のコリーダ」(大島 渚監督による同名映画の主題歌として当時大ヒットした)が流れたりしてさ。

大貫 あー、あの頃流行ってたもんな。

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伊藤 もう滅茶苦茶だった。半年くらい月曜日にやってたんだけど、日曜に移ったらすっごくお客さん入るようになって、一気に年齢層が若くなったな。

大貫 当時は、本当は入っちゃいけない年齢にも今ほど厳しくなかったからな。後になって聞かされて、「えーっ、中学生なのに来てたの!?」ってこともあった。「みんなそうですよ」って。みんなってことはないと思うけどさ(笑)。

伊藤 あはは、中高生は流行に敏感だからな。大貫んとこはアーティストも結構(遊びに)来てたよな?

大貫 いや、それは政則の方だろ。俺んとこはライヴ。トイ・ドールズ、スペシャルズ……、あとストレイ・キャッツとかが来て。

伊藤 えぇっ!? すごいな。

大貫 あとは沢田研二さんも『S/T/R/I/P/P/E/R』のお披露目ライヴ演ったり、ハードコア系だとディスチャージとか、キャバレー・ヴォルテールなんて変わったバンドも来たな。あ、イギー・ポップは遊びに来たね。あの頃普通は(海外から)有名人が来ると六本木に連れてかれてたけど、ロックがかかる場所があるっていうんで来て。でも政則や僕がツバキハウスでやり始めてからは、アーティスト側が六本木と新宿で選ぶようになったみたい。

伊藤 へぇ~。

大貫 あと、うちはアン・ルイスさんが頻繁に通ってくれて、色んな人を連れてきてくれた。デビュー前の吉川晃司くんとか。あとバンド関係は自然と集まったよね、めんたいロックのレピッシュとかTHE MODSとか、まだ“暴威”表記だった頃のBOOWY布袋(寅泰)くんとかもそう。来てる間に新しくバンド作って有名になったのがブルーハーツ。彼らはロンドンナイトから派生したモッズ系のイベントで初ライヴをやって。そういうことが増えて、取材とかもされるようになっていったんですよ。

伊藤 そうだよね。

大貫 だからロンドンナイトでDJやってたとか、遊んでたっていうような人が後から有名になることが結構多くて、ロンドンナイト・ファミリーなんてよく言われてましたね。まぁファミリーかどうかはさておき、ロンドンナイトが果たした役割があるとすれば、僕の表現したかった「ロックで踊る」ということが一般的に認められたことと、多くの人材が集まってきたことで音楽シーンの活発化に貢献できたことかな。それから、特に音楽やファッションの世界で有名になる人が多く出たということ。その3つは、雨粒の波紋が広がるかのように、より大きなものを生み出すこととなる最初の一滴になれたのかな、と思う。あくまできっかけだけどね。藤原ヒロシなんかホント一番いい例で、その後はそれを実際に成し得た方々の才能とか努力だと思いますけど。

ツバキハウス後――
変遷と35周年

大貫 ツバキが87年12月に閉店してからはいくつか店を変えて、最終的に新宿第三倉庫――4回名前が変わって最後はCLUB WIREになるんだけど、そこでやってた。

伊藤 あの場所は、何年くらいやってたの?

大貫 結局……20年くらいかな? 週1回は一旦やめちゃったんだけど(09年8月25日終了)、最後は月イチ金曜にやってたんだよ。それが途中で平日になっちゃって。

伊藤 あぁ、そうだったな!

大貫 でも金曜に戻そうって話になって、「明日からまた金曜に帰れる!」って思ってた木曜の夜に電話かかってきてさ、突然「営業できません」って。「えぇ~! お客さんにも何の説明もできないうちにロンドンナイト終了かよ!」って。ネットでは説明したけどさ。まぁでも、店が突然あっけなく終わって解散っていうのは、セックス・ピストルズみたいでいいかなって感じですけど(笑)。それが3年前(2011年閉店)。

伊藤 え、3年? じゃあさ、WIREやってる時からクラブ・チッタもやってたの?

大貫 だって年に1回じゃん、インクスティック(インクスティック芝浦ファクトリー。86~89年営業の巨大ライヴハウス)時代からだもん。

伊藤 あ、そうか。

大貫 始めたのが87年とかかな? ツバキと同時進行で3回くらいやって、その後クラブ・チッタ(川崎)が出来て。90年くらいにから去年まで23年間、年1回クリスマスイベントをやってたんだよ。でも今は40代の人がお客さんのアベレージになりまして、眠いとか遠いとかがあって(笑)。それで今年からチッタじゃなくて、新しくオープンする新宿のライヴハウスに移るんだよ(新宿ReNY。9/5にオープン)。まだ出来てないから行ってないんだけど、ギリギリ1000人、通常は7~800人くらい入るって。

伊藤 えー! じゃあ普段もコンサートに使うの?

大貫 そうらしいよ。初めてだから最初は様子見だけど、期待はしてる。もしあれだったらお前にも。いいハコだったら紹介しますよ。

伊藤 うん、状況次第でぜひ。35周年はなんかやるの?

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大貫 イベントは来年冬にやります。前に政則にも出てもらったじゃない、リキッドルームで。ああいうのを一つやろうかなと。だから協力してもらおうかなって。

伊藤 おお、いいね、いいね! 何回かやった方がいいんじゃない? 春・夏・秋・冬バージョンでさ。35周年なんだから!

大貫 いや、何回もってわけには……(笑)。じゃあ、伊藤さんやります? 来年。

伊藤 おたくで?

大貫 いや、そうじゃなくて。再来年か?

伊藤 俺んとこは1回だなっ! だってめんどくさいもーん!

大貫 ほらぁ~! そうだよ、色々考えなきゃいけないじゃん、場所とか人とかさ! 35周年で客全然入ってなかったらしいよ、なんて言われたら嫌じゃん。

伊藤 そんなのご祝儀で来るでしょー。

大貫 仏の顔も3度までって言うんだから、4回は無理でしょ!

伊藤 じゃ、やっぱ2回だ。

大貫 まぁ1回じゃ寂しいからね。夏にやる時はいつも8月にやってるんだけど、フェスが始まる前の6月くらいに1回、半年後のクリスマスに1回って今は考えてます。あとはCD出そうかなって。前回からもう10年くらい出してないからさ。去年からソニーと話してて、来年春くらいに出ればいいかな。

伊藤 ロンドンナイトのコンピレーションってこと?

大貫 そうそう、3枚目をソニーで出したので、その次を。まだ具体的には決まってないんだけど。

ロンドンナイト復活!?
DJとしてロックの普及を

大貫 今後の話ですけど、最近ロンナイの復活を期待するって声が多いんですよ、若い人からもオジサンたちからも。インターネットが普及したことで、昔を掘り起こして懐かしむってことが増えたのかもしれないんだけど。だからツバキ時代のロンドンナイトに特化したイベントをやってみようかなと。あとはレギュラーを月イチ、あるいは2ヵ月に1回くらいのペースでやりたいなって思ってる。今みたいに突然「やります」って、イレギュラーで発令が出るんじゃなくてね。

伊藤 うん、そうした方がいいよ。来る側も習慣になるしさ。そういや、地方もやってるよね?

大貫 地方のは、単純に大貫憲章がDJをするってことが多いんだけど、期待されるのはロンドンナイトで。

伊藤 そりゃそうだよ。

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大貫 でも僕一人でやるのはロンドンナイトとは呼べない。ロンドンナイトは最低でも3人いなきゃ成立しないんですよ。僕とヒカル(バウンティ・ハンター主宰。文化服装学院在学時代からロンドンナイトに通い、現在はロンナイファミリーのDJとして欠かせない存在)、あともう一人誰か。色んな音楽があってこそのロンドンナイトなんで。だから一人で行く時は“大貫憲章(ロンドンナイト)”とかって気軽にやってる。でも70人くらいのキャパで150人来てくれたりして、60過ぎてるおじいさんがDJやってて来てくれるっていうのは有難いことですよ。――長い間「ロックで踊る」と言い続けてきて、自分はミュージシャンではないけど、DJとして「ロックの普及」は出来るんじゃないかって思って、ロックの普及と浸透をライフワークとして捉えてる。バンドは自分たちの音楽しかできないけど、DJならわずか1時間で4~50のバンドの音楽をかけられるし、そんなことってDJにしかできないから。ラジオとかメディアを使ってもやって行きたいけど、やっぱり現場で実際にDJをしてやっていきたいっていうのが、僕にはありますね。伊藤さんは、へヴィメタルはどうですか?

伊藤 まぁ僕は(イベントは)年に1回だからね。大貫も言ってたけど、ファンは確実に年齢層が上がっているし音楽を聴く環境が変わったのもあって、新しいファンはあんまり入って来ない。でも来る人たちによく言われるのは忘年会っていうかさ、年に1回会えるっていうのがあるみたいなんだよ、みんな。

大貫 続けるのはいいことだよね。政則や友達に再会できるっていうのは、絶対的にあるだろうし。

伊藤 だから続けられる限りやって行きたいよね。別に儲けようとかっていうんじゃなくて。

大貫 だって儲かんないもん(笑)。

伊藤 そう、赤字になんなきゃいいんだ(笑)。だから大貫は撤退しちゃったけど、僕はチッタで12月にやりますよ。

大貫 じゃあ、また出させてくださいよ! 昔の曲かけたら喜んでくれる人たくさんいるだろうし。

伊藤 いるいるいる(笑)、じゃあ、またやりますか!

大貫 ツェッペリンとかね、かけますよ!

コレは聴いとけ! LN&HMS的ベスト5

この特集で初めてロンナイや2人を知ったというアナタでも大丈夫! それぞれのイベントの象徴的5作品をご本人たちに選んでもらったので、まずはこの5曲から始めよう。各専門チャンネルでも流れるので要チェック!

ロンドンナイト的ベスト5

ジャケ写

ラモーンズ「ロックン・ロール・ハイスクール」

7月にトミー・ラモーンが亡くなり、残念ながらオリジナルメンバーが全員他界となったキング・オブ・パンクス。ロンナイファンが学歴のように「◯◯年、ロンドンナイト卒業」と表現することが多いことにちなみ、このタイトルをセレクト。
ジャケ写

ティム・アームストロング「イントゥ・アクション」

90年代を代表するパンクバンド、ランシドのヴォーカル、ティムのソロアルバムを生むきっかけとなった楽曲。スカやレゲエを取り入れた、スペシャルズなど彼のルーツを感じさせる作品。
ジャケ写

オフスプリング「プリティ・フライ」

メロコア全盛期にリリースされた、女の子の「ギヴィトゥミベイビー!」の声から始まるあの世界的大ヒット曲。ポップスファンも虜にしたこのおバカなノリで、フロアは確実に盛り上がる。
ジャケ写

ザ・クラッシュ『ロンドン・コーリング』

最も有名なパンクバンドの1つ、ザ・クラッシュが最も高い評価と成功を得た名盤であり、大貫がロンドンナイトを始めるきっかけになった1枚。ステージでベースを叩き壊すジャケ写が最高のパンクロック写真として名高いという点でも、パンクの象徴的作品と言える。
ジャケ写

ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」

ヴォーカル、カートの死後20年経つ今なお崇められるニルヴァーナの代表作。気だるさと激情入り混じるサウンドはダンスのイメージと異なるが、次第に楽曲の世界奥深くへと引きずり込まれるような沼感は、さながらディープハウスのそれ。
大貫憲章
大貫憲章 KENSHO ONUKI
51年生まれ、東京都出身。71年大学在籍時から音楽評論家のキャリアをスタート。当時無名のクイーンを日本にいち早く紹介、セックス・ピストルズやザ・クラッシュらを現地取材するなど、日本音楽界におけるキーパーソンとして知られる。NHKラジオや、日本初のUKチャート専門番組「全英TOP20」(ラジオ日本)のパーソナリティーを経て、80年より日本初ロックDJイベント「ロンドンナイト」をスタートした。藤原ヒロシやブルーハーツら後に日本の音楽やファッション、カルチャーシーンの重要人物が足繁く通うなど、ロンナイ伝説は数知れず。USEN「C-57 LONDON NITE(大貫憲章)」ほか、イベントが35周年を迎えようとしている今なお、多方面で精力的に活動中。

へヴィ・メタル・サウンドハウス的ベスト5

ジャケ写

メタリカ「バッテリー」

まだアンダーグラウンドな知る人ぞ知る音楽ジャンルだったスラッシュメタルが認知された名盤『メタル・マスター』のオープニングを飾るにふさわしい名曲。
ジャケ写

アイアン・メイデン「撃墜王の孤独」

ファンが急増したメタルクラシックの傑作『パワー・スレイヴ』に収録されている疾走感溢れるヘヴィメタルの名曲中の名曲。ツイン・リードギターに痺れる。
ジャケ写

ジューダス・プリースト「エレクトリック・アイ」

アメリカでの地位を確立させたジューダス・プリーストの歴史的名盤収録。へヴィメタルの鉄板チューンと言えばコレで決まり!
ジャケ写

モーターヘッド「エース・オブ・スペーズ」

イギリス出身、パンクとメタルの垣根を超えた存在のバンド、モーターヘッドによる代表曲がこちら。聴けばアドレナリン噴出間違いナシな1曲。
ジャケ写

ライオット「サンダースティール」

沈黙状態からの復活作として88年に発表されたアルバムの同名曲。スピード感とテンションの高さで今なお王道メタルの名曲として君臨し続ける、タイトル曲を冠されるのも納得の作品。
伊藤政則
伊藤政則 SEISOKU ITO
53年生まれ、岩手県出身。日本のハードロック/へヴィメタル界のオピニオンリーダー。81年にツバキハウスで日曜夜に開催された「ヘヴィーメタル・ナイト」を発端とする「HEAVY METAL SOUNDHOUSE」を主宰。専門誌「BURRN!」編集顧問ほか、TV番組「伊藤政則のROCK CITY」(テレビ神奈川)をはじめ、複数のラジオ番組でもレギュラー番組を持つ。アイアン・メイデンやボン・ジョヴィなど世界的バンドからも「Masa」の愛称で親しまれ、信頼も厚い。USENでは長年「B-58 HEAVY METAL SOUNDHOUSE」の進行役を務めている。最新著書に8月発売の『目撃証言2 ヘヴィ・メタル:魂の旅路』(学研マーケティング)がある。

放送チャンネル

  • C-57LONDON NITE(大貫憲章)
  • 毎日22:00~の「SPECIAL MIX」にて大貫によるUSEN特別ミックス音源を放送中。12月には曜日毎に7名の選曲者が変わる35周年直前特別企画をお届けします。そして15年1月には、年末恒例イベントを全編収録した特別放送も予定。お聴き逃しなく!
  • B-58HEAVY METAL SOUNDHOUSE(伊藤政則)
  • 伊藤政則自らが選曲したプログラムをはじめ、レコードメーカーのA&R担当者がコンピレーションした音源や来日公演のライヴ音源など、ここでしか聴けないプログラムが満載。ファン垂涎ハードロック/へヴィメタル専門チャンネルです。

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