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ビートルズ日本武道館での来日公演から50年ビートルズをテーマに特別対談!ピーター・バラカンと星加ルミ子

今年は、ビートルズが日本にやって来てちょうど50年。ビートルズについて、日本のファンへいち早く詳しく伝え続けた音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の元編集長・星加ルミ子さんと、小学生のときに、ビートルズのライヴを見たというピーター・バラカンさん。まだまだ知らないビートルズについてのエピソードが飛び出します!

A-57USEN MONTHLY SPECIAL

ザ・ビートルズ来日50周年記念特集
放送期間:2016年10月1日〜10月30日



私たちが
ビートルズと出会った頃

  • ピーター・バラカン(以下PB) 初めて見に行ったコンサートがデビュー直後のビートルズです。1964年1月2日にフィンズベリー・パークにあるアストリア・シネマ、3000人くらい収容できる大きな映画館へ「ビートルズ・クリスマス・ショー」という公演を。当時12歳でしたね。

    星加ルミ子(以下星加) 12歳ですか!親御さんの許可は?

    PB 母と弟と3人で行ったんです。家からバスに1本乗るだけで行ける場所でした。

    星加 ちょっと街まで映画を見に行く、そんな感じだったのね。

  • 「ビートルズ・クリスマス・ショー」のパンフレットと半券チケット

PB はい。ビートルズの演奏は9曲で正味30分くらいでした。2階席の最前列だったので、4人の姿はよく見えたんですが、肝心の音楽は女の子の叫び声で耳に入ってこない(笑)

星加 えー、もうその頃から「キャー、ポール! ジョン!」みたいな感じだったの?

PB そうです。もう「ビートルマニア」という言葉が生まれた頃で演奏は聞こえなかった。

星加 その2年くらい後に、通訳とカメラマン3人で24歳の時に、ビートルズにインタビューをするためロンドンへ行ったんです。当時1ドルが360円、誰でも外国へ行けるような時代ではなく、もちろんスマホもインターネットも宅配便もなかった。スーツケースを5つ、自分で運びました。それが当たり前だと思っていたから、苦ではなかったけれどね。

PB あれから、世の中は随分と変わりましたね(笑)

  • 「ビートルズ・クリスマス・ショー」のパンフレットと半券チケット
  • 星加 ビートルズがヘアスタイルやファッションを変化させたし、ただ歌うだけの歌手から、自分たちが曲を作り、演奏もするというスタイルへ変えたのもビートルズですよね。

    PB あの頃、シングル曲のB面が好きでした。A面ももちろん聴きましたが、「アイル・ゲット・ユー」や「ジス・ボーイ」、「レイン」とか、いい曲が多くて毎日レコード盤が擦り減るくらい聴きました。アーティストによってはB面で、がっかりすることも多いんだけど、ビートルズはB面が好きですね。

星加 4人は20世紀が生んだ唯一無二の存在。213曲あるオリジナル曲は、どれも全部違って、似たようなものが存在しません。レノン=マッカートニーの傑出した才能は、後世に残るものだと思います。若い人たちにもっと聴いて欲しいと思います。

PB 同じような曲がないって凄いことなんだと、ジョージ・マーティンも言っていました。最初「プリーズ・プリーズ・ミー」を作ってきた時、あまりいい曲だとは思わなかったそうです。ちょっとテンポを変えさせたり、ハーモニカを加えたり、ジョージ・マーティンのインプットもありましたが、曲に磨きをかけて「これは間違いなく、君たちのNo.1の曲だ。さあ次を作るように!」と宿題を与え続けた結果、次に「フロム・ミー・トゥ・ユー」、じゃあ次は「シー・ラヴズ・ユー」と作ってきたそうです。どれもPART2みたいな曲はなく、全く違うタイプを次々と生み出していったことは、振り返ってみると奇跡的なことですね。

星加 ビートルズ日本公演の時のことですが、彼らは5日間もホテルに缶詰め状態で、24・25歳の若者4人は発狂したくなるようなスケジュールでした。武道館でのコンサートの後、オレンジジュースで乾杯をしながら、ジョン・レノンが突然「俺たちはもう充分な金を稼いだ!フェイドアウト」って大声で叫んだの。私も周囲の大勢の人たちも驚いて「ビートルズ解散!?」と一瞬水を打ったように静まり……。
でもまぁ、いつものジョンによる冗談でした。少し間が空いて笑いが起きて何事もなかったけど、エプスタインが私の横へ来て、指をクロスして「今のは書かないでくれ」って言われたのを今でも覚えています。

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若い世代へ伝えたい
ビートルズの魅力

  • 星加 ビートルズは、いつ聴いても、どこで聴いても誰が演奏していてもいいんですね。

    PB そうですね。

    星加 オリジナルがしっかりといい曲だから、すんなりと心に入ってくるものが多く、古さを感じさせませんね。今年は来日50周年記念ですが、これからも日常的にビートルズの音楽に親しんで欲しいですね。

  • 「好きなバンドはたくさんあるけど、ビートルズは別格です」ピーター・バラカン

PB 彼らの才能は、もちろんあったと思いますが、それにも増して、彼らはデビュー前の下積み時期があったことが重要で、幅広い楽曲を作れたことに深く関係していると思います。

星加 日本人やアメリカ人が体験していないのに、どこか懐かしく感じたり、聴いたことがあるような感覚を覚えたり、そんな旋律がありますね。あれはイギリスやアイルランド、スコットランドなどの伝統的な音楽や地域に伝わる民謡、それとやはり教会音楽などが、彼らのルーツにあるようですね。

PB ビートルズの曲が似たような曲がなく幅広いのは、ハンブルグで一晩に5回、6回と演奏していた時期、とにかくレパートリーを増やすため、ロックンロールもR&Bも演奏していたし、ポールは「ベサメ・ムーチョ」も歌うし、ミュージカル的な要素も取り入れていましたね。脚光を浴びることもなく、地道に毎日6~8時間も演奏する下積み時期があったから、色々なジャンルを吸収・消化して、その経験が曲作りに生かされているんだと思います。

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プロデューサー
ジョージ・マーティンの存在

  • 「いつどこで聞いても、今もビートルズの曲は素敵なもの」星加ルミ子
  • 星加 初めてロンドンへ行った時に私を出迎えてくれた人です。接点があったのは「フール・オン・ザ・ヒル」のレコーディングの時。2時間くらいスタジオに居て「そろそろ帰ります」って廊下へ出たら、「座らないか」と彼から声を掛けてくれて。冗談を交え彼がたくさん話して、私は「ビートルズをまとめていくのに、どんな音楽を聴いていますか」と下手な英語で質問したら、アメリカのミュージカル映画をたくさん見ている、中でもジョージ・ガーシュインが好きだと。それと、クラシックはほとんど聞かないんだと言っていましたね。

PB 私は98年にラジオ番組の取材でお会いしました。「ビートルズと交わした契約内容は、良心が咎めるものだった」と話したことが、私はとても印象に残っています。

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大好きな曲、
ベストソングを選ぶとしたら!?

  • 星加 難しいけれど、1曲選ぶなら「レディ・マドンナ」です。 理由は、幼い頃から本を読んで、頭の中でずっと想像していた、イギリスの風景が甦る感じがするから。ロンドンの石畳の道や、手回しのオルガンを弾くおじさんが居そうな街角、ヒースという草が生い茂る小高い丘など、私がイメージするイギリスの風景が浮かび上がる曲なんです。

    PB 私は「ツイスト・アンド・シャウト」(笑)これを聴くと未だに興奮というか高揚します。基本的にラテンのスリー・コードで、特別どうって曲では正直ないけれど、ジョンが風邪で2テイクしか録音していない。その2テイク目です。シャウトの迫力が凄いので大好きです。

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Profile

  • ■星加ルミ子
    1961年、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック)に入社。音楽誌の『ミュージック・ライフ』の編集部に配属。65年に編集長就任しロンドンへ渡る。日本人ジャーナリストとして初めて、ビートルズとの単独会見に成功。69年1月30日、ルーフトップ・コンサートの日にアップル社に居て偶然出くわしたという。1975 年に退社。以後、フリーの音楽評論家として現在に至る。著書に『ビートルズとカンパイ』(シンコーミュージック)などがある。

  • 星加ルミ子

  • ■ピーター・バラカン
    ブロードキャスター。1951年ロンドン生まれ。74年に来日、シンコーミュージック国際部入社、著作権関係の仕事に従事する。80年に退社。執筆業、ラジオ番組への出演などを開始。86年までイエロー・マジック・オーケストラ、後に個々のメンバーの海外コーディネーションを担当。88 年「CBSドキュメント」の司会を担当。その後、FMでのラジオパーソナリティ、DJなど多岐にわたり活躍している。

  • ピーター・バラカン